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水戸地方裁判所 平成7年(わ)138号 判決 1996年2月26日

主文

被告人Aを禁錮二年六月に、被告人Bを禁錮一年六月に処する。

この裁判確定の日から、被告人Aに対し四年間、被告人Bに対し三年間、それぞれその刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人A(以下「被告人A」という。)は鉄道事業等を営む関東鉄道株式会社の鉄道部運輸課水海道乗務区に所属する運転士として内燃動車(列車)の運転等の業務に従事し、平成四年六月二日同鉄道常総線新守谷駅午前七時三七分発取手駅行き四両編成の内燃動車(第二四列車、以下「本件列車」という。)を運転していたものであり、被告人B(以下「被告人B」という。)は同乗務区に所属する車掌として列車の監視及び出発合図等の業務に従事し、同列車に車掌として乗務していたものである。

同日午前七時五六分過ぎころ、同列車は、茨城県取手市大字井野一、七八一番地の二西取手駅に到着し、被告人Aが同駅において同列車を発車させようとしたところ、何らかの原因によりブレーキが緩解せず、発車できない状態となった。そこで被告人Aは、同列車の保安ブレーキ(列車の通常の制動に使用する常用ブレーキが使用できなくなった際等に使用されるブレーキ系で、圧搾された圧力空気の力で作動する。)がかかったものと考え、これを緩解させるべく、車外に出て、各車両床下の保安ブレーキ締切コック(通常「開」の状態にされており、これを「閉」の状態にすると、圧力空気が同コックの側穴から排出され、保安ブレーキが機能しなくなる。)を全て「閉」の状態にした。そうしたところ、ブレーキが緩解して停止中の同列車が同所の勾配により後退を始めたため、同列車最後部車両の後部車掌室に待機していた被告人Bは、とっさに同室内の常用ブレーキ(列車の通常の制動に使用するブレーキ系で、圧力空気の力で作動する。通常は運転室内のブレーキ弁ハンドルにより操作するが、非常の場合等には、各車両に取り付けられている車掌弁レバーを引き下げることにより急激に作動させることができる。)の車掌弁レバーを引き下げ、同列車を停止させた。ところが、被告人Aは、保安ブレーキが使用できなくても常用ブレーキが使用できれば大丈夫だろうと考え、その後前記各保安ブレーキ締切コックを「開」の状態に戻さず、また、被告人Bも、これまで車掌弁レバーを引いてブレーキを作動させた経験がなく気が動転したことや、車掌弁レバーを引いた後の処置をよく知らなかったことなどから、その後前記車掌弁レバーを元の状態に戻さなかった。更に、同列車が西取手駅に停車中に、何らかの原因により、前記車掌室の保安ブレーキスイッチの「ON」のボタン(これを押すことにより、保安ブレーキが作動する。)が押し込まれた状態となったが、同室内にいた被告人Bはこれに気付かなかった。そして、本件列車においては、このように、保安ブレーキスイッチが「ON」、保安ブレーキ締切コックが「閉」で常用ブレーキ車掌弁レバーが引き下げられた状態になった場合、常用ブレーキ系と保安ブレーキ系の双方からの圧力空気が共に保安ブレーキ締切コック側穴から排出され、しばらく後には常用ブレーキも保安ブレーキも全く作動しなくなる構造となっており、そのために、同列車は、西取手駅に停車している間に既に制動不能の状態となった。しかし、被告人Aは、同列車を発車させる前に、先頭車両前部運転室内の元空気だめ(ブレーキ用の圧力空気を最初に溜めるタンク)圧力計が規定値より低い約五キログラム毎平方センチメートルにしか上昇していないことには気付いたものの、更に同室内の釣合空気だめ(このタンク内の空気圧を変化させることにより常用ブレーキを作動させる。)圧力計を確かめたりはせず、同列車が制動不能の状態に陥っていることには思い至らなかった。

こうした後、被告人Aは同列車を発車させようとしたが、右のように列車にブレーキの故障が生じて応急処置した後であり、しかも元空気だめ圧力計が規定より低い値しか指していないことを認識した場合、同被告人には、運転士として、前記会社の運転取扱心得及び鉄道運転士作業基準に定められた応急処置後の制動試験実施要領に従い、同列車に車掌として乗務していた被告人Bと緊密な連携を図り、制動試験を実施してブレーキが正常に作動することを確認したうえ発車させ、もって、同列車の暴走、脱線等の事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があった。にもかかわらず、被告人Aはこれを怠り、同列車の発車が遅延していることに気をとられ、制動試験を実施せず、ブレーキが制動不能状態にあることを看過したまま、漫然と被告人Bの出発合図に従い、同日午前八時一〇分ころ、同列車を発車させた。また、被告人Bにも、右のように列車にブレーキの故障が生じて応急処置した場合、車掌として、前記会社の運転取扱心得及び鉄道運転士作業基準に定められた応急処置後の制動試験実施要領に従い、同列車の運転士である被告人Aと緊密な連携を図り、制動試験を実施してブレーキが正常に作動することを確認したうえ同被告人に出発合図を送って同被告人をして同列車を発車させ、もって、同列車の暴走、脱線等の事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があった。にもかかわらず、被告人Bはこれを怠り、同列車の発車が遅延していることに気をとられ、制動試験を実施せず、ブレーキが制動不能状態にあることを看過したまま、漫然と被告人Aに出発合図を送り、同被告人をして同列車を発車させた。

以上のような各過失の競合により、被告人両名は、制動不能状態の本件列車を暴走させ、同日午前八時一三分ころ、同列車の先頭車両を、同市中央町二番五号前記会社常総線取手駅八番線線路に設置された車止めを突破して株式会社甲野取手店六階建鉄筋コンクリート造の二階店舗側壁に激突させて大破させ、同列車二両目及び三両目の各車両を脱線小破させ、もって列車の往来の危険を生じさせると共に、その衝撃により、同列車の乗客であるC(当時四〇歳)に対し、広範な頭蓋骨骨折を伴う脳挫傷の傷害を負わせ、同日午前八時三五分ころ、同市取手三丁目二番四一号植竹病院において、同人を前記傷害により死亡させたほか、別表記載のとおり、同列車の乗客であるD(当時五〇歳)ほか一二四名に対し、それぞれ傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)《略》

(法令の適用)

被告人両名の判示所為のうち、列車の往来に危険を生じさせた点は、いずれも刑法(平成七年法律第九一号「刑法の一部を改正する法律」附則二条一項本文により同法による改正前のもの。以下同じ。)一二九条二項、一項に、Cほか一二五名を死傷させた点は、いずれも各被害者ごとに同法二一一条前段にそれぞれ該当するところ、右は被告人両名についていずれも一個の行為で一二七個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により一罪としていずれも刑及び犯情の最も重いCに対する業務上過失致死罪の刑で処断することとし、所定刑中いずれも禁錮刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人Aを禁錮二年六月に、被告人Bを禁錮一年六月にそれぞれ処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から被告人Aについては四年間、被告人Bについては三年間それぞれその刑の執行を猶予することとする。

(量刑の理由)

本件は、判示のとおり、被告人両名が乗務していた列車が西取手駅に停車中にブレーキが緩解しなくなり、これに対する処置を行ったところ、列車のブレーキが全く作動しない状態となったが、被告人両名共これに気付かず、制動試験を実施せずに列車を発進させたため、列車が暴走して隣の取手駅の駅ビルに激突し、多数の死傷者が出たという事案である。

その過失の態様について検討するに、まず、被告人Aは、西取手駅において保安ブレーキ締切コックを「閉」の状態にして同ブレーキを緩解させた後、常用ブレーキがあれば保安ブレーキが作動しなくても大丈夫だろうと考え、他に連絡・相談することなく独断で右コックを「開」の状態に戻さないまま列車を発進させたものであるが、かかる態度自体、鉄道運送における安全確保の重要性を蔑ろにすること甚だしいものというべきである。また、同被告人は、運転室の元空気だめや釣合空気だめの圧力計を見ることにより容易に列車の制動不能の状態を知り得たはずであり、現に元空気だめ圧力計が規定値に達していないことには気付いたが、にもかかわらず、釣合空気だめ圧力計を確認せず、列車が制動不能であることに思い到らなかったというのも、著しく注意力を欠いていたものといわざるを得ない。そして、このように原因不明のブレーキ不緩解という事態が生じ、これに対し保安ブレーキが作動しないような処置をした後であり、更には元空気だめ圧力計が規定値に達していないことを認識していたのに、列車の遅れに気を取られ、全く制動試験を行わずに発車させたというのであるから、同被告人は列車運行に付随する基本的な注意義務を怠ったものというほかはなく、運転士として安全の確保に最大の責任を負う立場にあり、少なからざる期間そのための指導・教育を受けてきたことに鑑みても、その過失は極めて重大というべきである。

次に被告人Bについてみるに、同被告人は、被告人Aがブレーキの応急処置をしている途中に急に列車が後退を始めたことから、とっさに常用ブレーキの車掌弁レバーを引き下げて停止させたものの、それまで同レバーを引いてブレーキを作動させた経験がなかったため慌てたことや、同レバーを引いた後の処置の仕方をよく知らなかったことなどから、その後これを元に戻さなかったというのであるが、ブレーキを作動させた後再発進をする際にはこれを元に戻すべきなどということはいわば常識であるし、処置の仕方がわからなければ他に尋ねて確認すべきことも当然である。また、本件列車が西取手駅に停車している間に、同被告人のいた車掌室の保安ブレーキスイッチの「ON」のボタンが押し込まれた状態となったものであるところ、前後の状況に照らし第三者がこれを押した可能性は低く、同ボタンは何らかの形で同被告人が押した可能性が相当程度あるものと思われるが、仮に第三者がこれを押したのだとしても、同被告人としては、そのような第三者の行為を未然に防ぎ、これが行われてしまったならば速やかに発見して処置すべきであったものというべく、それを本件事故発生に至るまで全く気付かなかったというのであるから、この点でも著しく不注意であったとの誹りは免れない。そして、その後全く制動試験を行うことなく発車合図を送って列車を発車させた点については、被告人Aと同様、基本的な注意義務を怠ったものとして厳しく非難されなければならないことはいうまでもない。しかも、本件列車は、車掌室において、常用ブレーキの車掌弁レバーが引き下げられ、かつ、保安ブレーキスイッチの「ON」のボタンが押し込まれていたという、いわばブレーキを二重にかけた状態にあったものであるところ、右のどちらか片方だけがなされたのであっても本来列車は発進できないはずであり、それが何の支障もなく走行していること自体、本件列車のブレーキの機能が完全に失われている事態を如実に示していたのであるが、同被告人は全くこのことに気付かず漫然と乗務していたというのであって、同被告人の注意力の欠如はいよいよもって甚だしいというほかはない。以上によれば、被告人Bの犯した過失もまた極めて重大というべきである。

そして、被告人両名の右各過失が競合したことにより、本件列車は満員の通勤・通学客を乗せたままブレーキが全く効かない状態で暴走し、終点である取手駅において、ホームの端に設置された車止めに激突してこれを乗り越え、その先にあった駅ビルの壁を突き抜けてその内側の店舗の中に突入し、その結果、列車の乗客一名が死亡し、一二五名が傷害を負うという大惨事を招いた。死亡した被害者は、妻と二人の子供を有する五〇歳の働き盛りの男性であり、その余の負傷者の中にも相当の重傷を負った者もおり、更には、駅ビルや車両、施設等に生じた物的損害も二億一〇〇〇万円を越えているものであって、社会に与えた不安も大きく、本件事故の結果は誠に重大である。

以上によれば、被告人両名の刑責は、いずれも極めて重いものというべきである。

しかしながら他方、本件事故の被害者一二六名のうち、死亡者を含む一二三名については関東鉄道側から相応の賠償金が支払われて既に示談が成立し、その余の三名についても現に示談の努力が続けられており、物的損害についても全て補填がなされている。また、被告人らが列車のブレーキの異常に対し適切な行動をとれなかったこと、殊に被告人Bがブレーキの取扱いについての知識や経験を著しく欠いていたことについては、会社の管理・教育のあり方にもかなりの問題があったものといわざるを得ないところである。そして、関東鉄道においては、本件事故後、乗務員に対する指導・訓練の強化、安全確保のための機構改革、保安設備の改良・充実等が図られ、事故の再発防止の努力がなされていることが窺われる。このような事情に加え、被告人両名ともこれまで真面目に働いてきたもので、被告人Bには前科はなく、被告人Aも自動車の交通事犯による罰金刑を一回受けたほかは前科がないこと、被告人らはそれぞれ会社内において降格処分を受けたほか関連会社に出向したりして経済的にも相当程度の減収となっているなど既にある程度の社会的制裁を受けていること、被告人Aについては生活を支えるべき妻子があること、被告人両名とも本件犯行を深く反省悔悟し、陳謝していることなど被告人らに有利ないし酌むべき事情も認められるので、以上一切を総合考慮した結果、被告人両名についていずれも刑の執行を猶予し、社会内において更生の道を歩ましめるのが相当と思料した次第である。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 傳田喜久 裁判官 内田博久)

裁判長裁判官 大東一雄は転補により署名押印できない。

(裁判官 傳田喜久)

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